昭和38年8月26日生まれ(60歳)
静岡県出身
幼少期を旧舞阪町(現浜松市中央区)で過ごす
■静岡市立中田小学校卒
■静岡大学教育学部附属静岡中学校卒
・卓球部に入部
・ニックネームは「むらじ」→ 歴史の授業で、大連(おおむらじ・ヤマト政権の最高官という役職)を学んだときに決まる。
(同級生Kさんより)
サッカーの授業でボールをキックした際に彼はシューズもあわせて飛ばしてしまい、「むらじキック」と一部で恐れられていた。
■静岡県立静岡高校卒
・「むらじ」のニックネームは引き続き呼ばれている
(同級生Rさんより)
高校の思い出「お弁当」。当時の静高は75分授業。眠くてお腹がすいて授業より「食」と「睡眠」が宝物だった。
(同級生Iさんより)
高3の大学受験終わりに何人かで大村君の実家でお泊まり会をしたとき、異様に枕投げにこだわりを持っていたのを覚えている。
■東京大学経済学部卒
(同級生Yさんより)
大学1、2年の頃のエピソード
高校の同級生と新宿で飲み会を開催したときの話。複数の支店を持つ居酒屋チェーン店で開催たったが、大村君は店の名前を聞き間違えており、学生御用達の居酒屋を手あたり次第まわり二時間後にやっと探し当てて合流した。携帯電話がない時代に、長時間かかってもあきらめず探し当てたことに驚き、感心したのをよく覚えている。
(同級生Tさんより)
大村君は貝塚先生のゼミナールの幹事長を務めており、意見の相違が発生するたびに調整役として汗をかいていた。探究心が旺盛で勉強に対する真摯な態度は、自然とまわりに人が寄ってきていた。
(同級生Kさんより)
大村君はESSサークルに所属し、英語でのディベートで他の大学と積極的に交流していた。勉強もサークルも遊びも真剣に一生懸命に取り組んでいた印象が強い。ゼミの幹事役も自ら進んで買ってでて、皆の役に立ちたいという思いは当時から一貫していた。